バレーボール女子のパリオリンピック出場に貢献した宮部愛莉選手。
宮部選手は、日本代表の試合後のインタビューで通訳を務めるほど、英語力が高いことで有名です。
これは、5年間のアメリカ留学によるもの。
宮部選手はハーフのため、最初から英語を話せたのかと思いきや、留学する前は高校3年生レベルの英語力だったと語っています。
この記事では、宮部藍梨選手の英語力について詳しくお伝えしていきます。
宮部藍梨の英語力はアメリカ留学が影響
#宮部藍梨 選手がアメリカ🇺🇸から帰国しました🏐
— TBS バレーボール (@TBSvolleyboo) May 8, 2022
5年間のアメリカ生活でさらに高みを目指してきた宮部選手😎パワーアップした宮部選手のプレーに期待です🍀
そして日本代表合流について英語で答えてくれました☺️英語力もすごいです✨
おかえりなさい😆#volleyball#火の鳥ニッポン#母の日2022 pic.twitter.com/CLMSKdw3EI
宮部選手は高校卒業後、2017年から合計5年間アメリカ留学をされていました。
その影響から、英語がペラペラです。
アメリカのサウスアイダホ大学→ミネソタ大学へ編入
宮部選手は高校卒業後、神戸親和女子大学に進学しますが、2017年9月よりアメリカのサウスアイダホ大学に留学。
その2年後、ミネソタ大学に編入し3年間を過ごし、合計5年間をアメリカで過ごしました。
宮部藍梨がアメリカ留学した理由
宮部選手が、アメリカ留学した理由は、
と、勉強がしたかったと明かしています。
「人生でバレーができるのは20年くらいで、競技を終えた後も生きていかないといけない。私は米国へ行って勉強がしたかったし、違う環境にも身を置きたかった。自分のしたいことを考えて選択した進路が留学だった」
引用:産経新聞
アスリートは引退後、セカンドキャリアで苦しむ人も多いです。
毎年、年末に放送されている、
という番組がキッカケで、プロスポーツ界の厳しさを知った人も多いでしょう。
体力がある若い頃から、将来を見据えて行動している姿は、さすがです。
このような選手が、結果的に選手生命も長いんですよね。
アメリカ留学前の宮部藍梨の英語力は「普通の高3レベル」
宮部選手は、父親がナイジェリア人で母親が日本人のハーフ。
![](https://www.spatrail-shima-kusatsu.jp/wp-content/uploads/2024/05/a72013e90d198f86d319e6aae9cc7203-9-300x185.jpg)
そのため元々英語が話せるように思ってしまいがちですが、特別得意だったわけではないそうです。
雑誌「Number」のインタビューでは、英語は普通の高3レベルと答えています。
英語は特別得意だったわけでなく「普通の高3レベル」(宮部)。サウスアイダホ大では、英語を母国語としない生徒のための英語授業を受けつつ、一般学生と一緒に通常の授業も受講。毎日ほとんど寝る暇もないほど勉強しながら、バレーを続けた。
引用:Number Web
そして、大学の勉強とバレーボールを両立しながら、毎日ほとんど寝る暇もなかったとのこと。
厳しい環境に飛び込むことで、英語力も高まっていったのでしょう。
言葉が通じない国で生活することは、なかなか出来ることではありませんからね。
宮部選手は16歳で日本代表デビューしているため、アメリカ留学中は、
と思った人もいたようです。
宮部藍梨の英語力がバレーボールでも活躍
宮部選手の英語力は、バレーボールでも存分に活かされています。
日本代表の通訳
宮部選手は日本代表の試合では、試合後のインタビューで通訳をされています。
プエルトリコ戦 勝利後、インタビューを受ける関選手と通訳の宮部選手 🎤🫰🏻🫰🏻#東レアローズ #関菜々巳 #ヴィクトリーナ姫路 #宮部藍梨 pic.twitter.com/W1o9AU9vmG
— aoitoridx (@aoitoridx) October 7, 2022
先日のネーションズリーグでも、宮部選手は通訳を務めていました。
この光景を頻繁に見かけるため、女子日本代表の名物になっています。
火の鳥NIPPON名物
— DAサリ (@around30_milk) June 18, 2023
通訳 宮部藍梨
宮部選手は兵庫県出身のため、通訳する際、たまに関西弁で訳すこともあります。
これで通訳を雇うこともないため、経費削減にも貢献されていますね。
SNS上では、通訳する姿を見て、宮部選手のファンになった人も多いようです。
年俸が高い海外移籍の可能性
そして、宮部選手はアメリカ留学を経験していることで、海外移籍の壁も比較的低いでしょう。
日本は、今年10月からバレーボールのプロリーグである「SVリーグ」がスタート。
現在の「Vリーグ」はプロではなく、セミプロリーグになります。
そのため、選手の多くは企業に所属しており、
- 会社員
- バレーボール選手
この2つを両立しています。
それもあり、日本と海外リーグのバレーボール選手の年俸には大きな差があります。
木村沙織選手がトルコリーグでプレーしていた時期は、年俸は112万4340ドル(約1億3400万円)ほどあったとのこと。
当時の地元メディアなどの報道によれば、年俸は112万4340ドル(現在のレートで約1億3400万円)だった。トルコリーグ参戦時、木村はトルコ航空や寝具メーカーなど複数の企業とスポンサー契約しており、総収入は2億円を超えていたといわれている。
引用:日刊ゲンダイ
しかし、日本の東レアローズに復帰後は、年俸1500万円〜2000万円程度に下がったと言われています。
![](https://www.spatrail-shima-kusatsu.jp/wp-content/uploads/2024/05/a72013e90d198f86d319e6aae9cc7203-10-300x185.jpg)
宮部選手は英語も話せて、アメリカ留学の経験もあるため、海外選手とのコミュニケーションも比較的容易でしょう。
そのため、宮部選手も海外へ移籍する可能性もあるかもしれません。
「宮部藍梨の英語力について」まとめ
以上、宮部藍梨選手の英語力について解説してきました。
最後に簡単にまとめます。
- 宮部選手の英語力が高い理由は、5年間のアメリカ留学によるもの
- 宮部選手がアメリカ留学した理由は、引退後の人生を見据えて
- アメリカ留学前の宮部選手の英語力は「普通の高3レベル」
- 英語力を活かし、日本代表のインタビューで通訳を務めている
宮部選手は5年間のアメリカ留学を通じて、英語力を飛躍的に向上させました。
引退後の人生を見据えての留学でしたが、留学前の英語力は「普通の高3レベル」だったと明かしています。
現在は、その高い英語力を活かして日本代表のインタビューで通訳も務めています。
バレーボールの技術向上と並行して語学力も磨いた彼女の姿勢は、多くのアスリートにとって良いロールモデルとなるでしょう。